FILE No.028
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01.01.11.
コアジロ買い出し紀行・サイタマの国編(その1)
―ニッチツ鉱山村探訪記―
現地調査日:2000年11月13日
所 在 地:秩父郡大滝村大字中津川
調査の目的:鉱山村探訪
以下、非公開。
備 考:群馬側からの八丁峠越えは、通行止めの確率が
非常に高いため、注意が必要。
時の留まる「昭和」の村へ
今回の買い出しは、某廃墟系スレッド集で大いに盛り上がりを見せていた『ニッチツ鉱山村』を訪れてみることにしました。
ニッチツ鉱山→日窒鉱山は、埼玉の山奥の奥にひっそりと存在する現役鉱山。一般の人はまずその名前すら知る人も少ないでしょうが、かつては良質の鉄や亜鉛を産出することから、最盛期は従業員3000人を超える一大鉱業地として、鉱山を取り巻く一つの『村』として成長するまでの発展ぶりを見せた土地でもあります。
▲味のある木造建築物がそこかしこに点在します。 ▲旅館としても使われそうな趣の建物群ですね。
その『村』の発展のピークは昭和40年代。その時より、村はあたかも時を留めたかのように変化することをやめ、現在にいたるまで往時の面影を図らずも維持し続けているということです。
昭和中期の郷愁的な雰囲気が静かに漂う村・・・そんなイメージを浮かべた僕は、すぐにもこの場所へ行ってみたくなりました。
しかしながら、一方ではネットの情報を聞くかぎり、その村の印象はかなり禍々しいものにも思えてきます。距離的にも東京からゆうに120kmは離れているし、11月ではそろそろ本気で寒くなるし、スクーターだとツライものがあるし・・・と、少々尻込み状態になっていたところに、心強い同行者が現れてくれました。しかもクルマも出してくれるとのこと。viva-marukitaさんのこの提案にふたつ返事でOKを出し、我々はさっそく過去への旅へ向かいました。
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日窒鉱山村は秩父郡大滝村の山奥、「小倉沢」と地名表示された場所に存在します。・・・と、ここまで書いても、その場所はなかなか見つかりにくいでしょう。一般的に市販されている関東周辺道路地図などでは、その地域が省かれていたり、広域図のすみにかろうじて掲載されているようなケースがほとんどだからです。それほどまでに存在の薄い地域なので、おそらく鉱山関係者や廃墟マニア以外の人でこの土地を訪れたことがある人は、まずいないのではないでしょうか。
関東近郊にある「隔絶された地域」・・・このシチュエーションはまさに某新興宗教系の根城にされそうな場にピッタリなのでは?と話していると、やっぱりそのテの団体の流入を拒否する看板がありました。それは大滝村に入ってからちらほらと目立ち始め、鉱山村に近付く頃になると、もうあからさまに大きな看板で『立入拒否!』の態度を表しています。
「・・・ウチらもオ◯ムと間違われないように、不審な行動はとらないようにしないとな・・・。」
「廃墟探訪に来たこと自体、けっこう不審なんですけどね。」
そんなことを言ってるうちに、我々はついに日窒鉱山へと辿り着きました。素堀りの古びたトンネルを抜けると、そこには山の斜面にそってツギハギのように増設された採掘工場群が飛び込んできます。
これ自体も興味深い光景なのですが、なにぶん現在も操業しているので、それほど廃れた感じは見受けられません。やっぱりまだ「生きている建造物」なのですね。
続いて目に入ってくるのは、郵便局(!)です。これは情報で知っていたのである程度予測していたのですが、それでも驚きますよ。こんな山奥に業務を行なっている郵便局があるなんて。しかもこの建物が外観から内部にいたるまで、非常に味のある造りなんですねー。まるで映画のセットにそのまま使えそうなくらい雰囲気があるのです。『コアジロ買い出し・道の途中4』で訪れた松輪郵便局も味のある建物でしたが、規模とロケーションではこちらのほうが上です。
▲鉱山村居住エリアへの入口に架かる橋。 ▲今も現役の鉱山村郵便局。
郵便局を過ぎると、いよいよ採掘場の全景が見えてきます。そしてそこから道なりに進んだ先が、この採掘場で働く人々の生活の場となったニッチツ鉱山村(小倉沢地区)の始まりです。
村は小倉沢小中学校(もちろん現在は廃校)から始まり、数多くの共同住宅、商店、共同浴場(銭湯)、一戸建て家屋群・・・と展開していきます。それらのほとんどが今は使用されることのない廃墟群なのです。これは衝撃的でした。
我々は集落内をひと通り見てまわり、とりあえずは不審者であるという疑いを持たれぬよう、郵便局で地元の人間と接触をし、誤解をといておくことから始めました。なによりも、同行者であるviva-marukitaさんが大の郵便局マニアであることに加え、この魅力的な郵便局の詳細を是非とも聞いてみたいという気持ちが第一にあったからです。
そしてこの行動が、僕達のニッチツ鉱山村に対するイメージを決定づけました。応対してくれた局員の方が、とても親切に接してくれたのです。どうやら僕ら以外にも、この郵便局の雰囲気に惹かれて訪れてくる人が多いようで、局員の方は邪険にすることもなく温かい口調で我々の訪問に共感してくれました。郵便局のことはもちろん、鉱山の歴史やら村の成り立ちまで、非常に貴重なお話を聞くことができ、思わぬ収穫です。
「う〜む、この郵便局だけでも今回の旅に来た甲斐があったね〜。」
▲廃墟化した食料雑貨店。自販機は今も現役稼働中です。 ▲沢の片岸に設けられた共同浴場。軒先の電灯傘が良い感じ。
▲男湯の湯舟。女湯浴室は土砂崩れのため谷底へと崩落している。
我々は満足した気持ちで郵便局をあとにしました。それからは、なんだかとても気分よく個々の廃墟群を見て回ることができました。
商店では外壁に残された各種商品の宣伝資料に郷愁を覚え、共同浴場では当時の盛況ぶりをイメージするなど、廃墟ファンにとっては五感を刺激するような物件が目白押しです。特に住宅部分の生活資料の保存状態は良好で、様々な発見が得られることでしょう。我々も住宅内部への侵入にあたっては可能な限り損壊を避け、沈澱された時の世界を堪能しました。
▲「懐かしい!」と思ったけど、今もあるのかな? ▲昭和49年の小倉沢小学校のプリント。遠足のお知らせですね。(^_^)
「や〜これはスゴイわ。来て良かった〜ニッチツ鉱山村!」
僕は興奮のまま、写真を撮りまくりました。たぶんこの時なのでしょう、大事な落とし物をしていることに全く気付かぬまま、我々は大満足のままニッチツ鉱山村をあとにしました。
・・・・そして翌日。
早朝、ニッチツ鉱山管理部よりviva-marukitaさんへと電話が掛かり、そして僕の家へと電話がまわされてきました。
えっ!?ひょっとして廃墟侵入の時にマークされていたのか?ひょっとして怒られちゃうのか!!?と不安になりましたが、実は私の手帳を拾得したとの、ありがた〜い連絡だったのでした。それにしてもこれ、連絡受けるまで全然気付きませんでした。だからどこで落としたのかも不明なんですよね。ホントによくぞ親切に連絡くださったかと思うと、感謝の気持ちで一杯です。
鉱山村では、本当に数えるばかりの人としか出会えませんでしたが、それらすべての人が気さくに話してくれて、とても廃墟探訪とは思えない明るい道行きでした。マボロシの万年閉鎖道・志賀坂林道も越えることができたし、大成功の買い出し紀行でした。
▲これぞニッチツ鉱山のロゴいり封筒。レアですね。(笑)
★今回は時間の関係上、小倉沢小中学校の内部は見ることができませんでした。しかしこの学校こそが、実は鉱山村の目玉物件であ
ることを後日知り、悔しい思いをすることに・・・。三峰では旧ロープウェイ駅も発見することができなかったし、これはゼッタイ
に次回リベンジ調査を実行します!
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Researched Data from 1997.05〜2000.12.
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